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連載コラム「いじめの現場から」連載コラム
「いじめの現場から」

2018年07月15日

読売テレビ「そこまで言って委員会NP」における発言ほかメッセージ性について編集による誤認メッセージ性について

総論
いじめを軽視した主張が多く、いじめは自己責任、自己解決を推奨する発言が目立った。反論の機会も与えられず、あたかも弊所代表理事阿部がそもそも世間から認められていない存在であることを前提として、貴方のような者も存在することが許されるといったメッセージに終始した。

番組冒頭から司会者のよる「なんなん?あんた?」からはじまった。その後、男性司会者は弊所代表理事阿部に背を向け、番組進行を半ば放棄し、事前の打ち合わせや進行台本を無視して、いじめは自己責任自己解決だと主張した。
反論をさせないために、「ありがとうございました。」とコーナーの終了させた。

1、いじめの9割は対応しなくても良いという主張

元首長であった人物は、「いじめの9割は、ん?これがいじめなのか?という事案。」と切って捨てた。また、いじめの定義はセクハラと同じであるとしました。
これが首長経験に基づく発言だとは信じ難い発言です。なぜなら、彼はいじめ被害者側に立ち、時の教育委員会や教育行政と真っ向から戦いに挑み、これに勝利した実績を持つ人物だからです。

国立教育政策研究所の追跡調査によれば、仲間はずれやからかい、無視など軽微ないじめと呼ばれるものの被害経験率は、小学4年から中学3年生までの間で、およそ9割の児童生徒が経験していることがわかります。
こうしたデータに基づいたとしても、軽微ないじめと判断されてしまうものの中にも、重篤なダメージがあるいじめはあることを忘れてはなりません。
これは大人の目から「大したことの無いいじめ」も子供の感性からすれば、世界中から存在を無視されたほどの絶望感があるという、目線や視界の差であり、いじめ対策を行う者は、子供の感性でいじめ自体を感じることができる必要があるのです。
また、いじめの定義は、「一定の関係性」があり、何らかの「行為」があって、その被害者が「心身の苦痛」を感じたらいじめとなるが、これは最悪の事態を避けるため、いじめの芽を早期に積むことを目的として、広義にいじめを捉えなければならないという教訓から成り立っています。
セクハラと同様の部分は、被害者側がどう思うかであるが、部分は同様であっても取り巻く環境や当事者の違いなど異なる点はあります。同一視すべきではありません。


2、教育機会確保法といじめ

いじめによる不登校は正当な回避であるというのがユース・ガーディアンからのメッセージです。ただ、現行の教育機会確保法は、民間のフリースクールなどを認めてはいません。これは、立法の際に、この確保法によって、学校に行かないことを正当化してしまうなどの反対意見が多数出たからです。
結果、不登校となった児童生徒が自分に合うと思える教育機関を選択するにあたり、それが民間のフリースクールである場合、教育委員会や学校長の事実上の許可が必要になったり、否定されて別の手段を講じなければなりません。
この法は、今後の改正によって、求められているフリースクールなど教育の機会を失ってしまった子が、その機会を取り戻すための様々な選択肢があることを認められるかどうかにかかっています。始まりを作ったことには大きな意義がありますが、この立法によっていじめによって学校に通うことができなくなってしまった子供達を救えたかといえば、胸を張って救えたと言える者ではありません。

3、いじめは自己責任か自己解決か

確かにいじめを自分で解消したというエピソードを持つ子も大人もいます。ただ、それには時代背景やその時の友人関係などの相関関係、本人を取り巻く環境など条件が揃っていた場合と言えます。
だから、自分にもできたんだから、きっと誰にでもできるという考え方は乱暴なのです。
ですから、いじめは自己解決が基本とする主張は、暴論です。自己解決することが当たり前なんだという世論やマインドを作ろうとするのは、二次被害を生み出す社会悪と言えます。
一方で、いじめはいじめる側の選択でしかありません。例えば、自己中(自己中心的)だから無視しようとか、行動に雑、時間を守れないなどの問題から、仲間外れにしたり、いじめの対象とすることは、いじめをするもしくは結果的にいじめとなったといういじめる側の行動の選択によるものです。
つまり、例えば、趣味のヨットで無理に外洋に出てしまい、遭難してしまうような自己責任とは同じではなく、いじめの被害者に自己責任を押し付けることは、いじめ問題の軽視であり、いじめ必要論に発展する危険な思想であると言えます。

4、いじめ法と道徳

いじめはもはや学校の自治権を超え、立法されて「いじめ防止対策推進法」が成立し施行されています。ですから、いじめは道徳の範疇を超え、法律問題であると言えます。
ただし、その背景には道徳の問題があると言えます。この説明は、弊所代表理事は文面において、事前に番組側に提出しています。その上で、いじめ問題の最も悪いところについて、「いじめ問題の軽視」と表題に書いています。
隠蔽問題やいじめの数が増加した問題、未だに続くいじめの定義についての議論など、すべてはいじめ問題を大人社会が軽視し、きちんと取り組んでいないのです。
(正確に言えば、きちんと取り組もうとする人はもちろんいますが、それに反対したり、横槍や水を差す者も多くいるということです。)よって、パネル自体も誤ったメッセージと言えます。

以上が代表的な問題となります。
メディアや学校教育関係者、政治的趣向によっては、いじめ問題は不都合であったり、批判的な意見の対象となることがあります。
それでも、建設的な意見交換や平等な討論ができるのであれば、いじめ問題を取り巻くいじめ解消などの問題とは別にその環境の問題として意義はあるものだと思います。
ところが、今回のように、事前にあった台本や打ち合わせ内容などとは全く異なる展開で、カンペなどの進行を無視して、不平等な形でいじめ問題の現場や被害側を守る立場に対して不平等で不意打を打つような卑怯な進行は許容の範囲を超えています。
どのような形であれ、場面場面を切り取ってつなげて編集し、弊所団体の活動や代表理事阿部泰尚の活動を誤った形で伝えることには訂正を求めます。