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連載コラム「いじめの現場から」連載コラム
「いじめの現場から」

2015年01月22日

いじめられっ子にも原因があるというのは、 大きな間違いです

いじめが起きて、それが問題化すると、いじめられるにも原因があるはずだという議論が、
よく起ります。
しかし、これは、最も悪い加害者保護の習慣であり、いじめられた事が悪い、
いじめられっ子は、いじめられる落ち度があるのだという大きな間違いなのです。
私はよくこういう事を耳にします。
いじめの被害を受けた子は、いじめられた事を隠します。
隠すことは、恥ずかしかったり、心配をかけたくなかったり、
色々な葛藤があるのですから当然です。
それでも、耐えきれなくなったとき、先生や親に助けを求めるのです。
その求め方は不器用かもしれません。
しかし、それは、最初で最後のヘルプなのかもしれないほど、重要な事なのです。
そんな必死の声に、「嫌だとちゃんと言ったのか?」という質問を先生や親がしているのです。
特に、指導という領域では、「嫌だ」と強く主張しなさい!と統一されているかのように声をそろえているように感じます。
まず、ほとんどの子は「嫌だ」「やめて」と主張しています。
ところが、その叫びは弱く、か細いものが多いのです。
こうしたとき、余計にいじめが酷くなるケースが多い。
「嫌だ」「やめて」で止まるケースは、いじめている子より圧倒的に強く、
満ち溢れる怒りと勢いで押し切るほどの強さがあります。
また、あまり主張をするのが苦手だという事から、いじめの対象となるケースも多い。
だからいじめられるのだというのは横暴な意見であり、彼らは人と争う事を嫌い、
とても思いやりがあって優しい子達ばかりです。

さて、話を戻しますと、いじめられた子の多くは、「嫌だ」「やめて」と言っています。
本人にとっては、その叫びは必死でした。
それでも酷くなり、もう限界というところで、隠す事を止めて、やっといじめられたという告白をしているのです。
そんな子に「嫌だ」と言ったのか?という問いは、「君にも落ち度があっただろう?」
「君はちゃんと対処をしていないよね?」というような意味に取れてしまいます。
それこそ、いじめられた側にも非があるといっているのと同様だと思えるのです。
いじめには確かに原因があるものもあるでしょう。
しかし、原因らしき原因が無いものもたくさんあるのです。
いじめをすることこそが悪であり、それを受けた側には非はありません。
では、もしも、いじめの告白を受けたらどうすればよいか?
共感し、まずは受け止めてください。

大人はみんな子どもだったときがあります。
だから、自分が子どもだったときに戻って、もしも自分ひとりが同じ目にあわされたらどう思うか、一緒に感じてください。